建築家 安藤忠雄

建築家 安藤忠雄

IMG_2555.jpg遅ればせながら、はじめて六本木の東京ミッドタウンに行ってきた。人間ドックの検査のためだ。東京ミッドタウンはタワー、イースト、ウエストと分かれていて、タワーの上部45−53階はリッツカールトン東京になっている。その他サントリー美術館やオフイス、たくさんの店舗が入っており、サラリーマンで賑わっていた。ビルの北側は公園になっていて、お花見フェアーが開催されていた。開花宣言が出たとはいえ、今日の東京はまだ寒く、桜の花もまだまばらだった。
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ds_arc1.jpg公園内にある21_21 DESIGN SIGHT。ここはミュージアムというよりもデザインのためのリサーチセンターというコンセプトで作られたデザインを通して世界を見る場所です。
この建築物は安藤忠雄氏による設計で、トークショーが行われた事もあり、館内では安藤忠雄のサイン入り自伝書が売られていた。
IMG_2566.jpgその本が左の写真。ちょっと強面の表紙に手に取るのを躊躇しそうになったのだが、独学で建築家になる前はプロボクサーだったと本の帯に書いてあって、なるほどと思い、読んでみたくなった。
歯科臨床をしていて、自分はつくづく職人だなと感じることがある。私の思ったとおり、安藤忠雄さんの自伝には、おなじ職人として共感できる言葉がたくさん並んでいた。そのいくつかをご紹介したい。

プロボクサーを経て、独学で建築家の道を志した。
しかし、思うように行かないことばかり。
ほとんどは失敗に終わった。
それでも残りのわずかな可能性にかけて、
小さな希望の光をつないで必死に生きてきた。モノづくりは根気のいる仕事ではあるが、
モノに生命を与えるという尊い仕事であり、
モノに触れて生きているという充実感がある。

 

抽象的な言葉として知っている事と、
それを実体験として知っている事では、
同じ知識でも、その深さは全く異なる。
都市に対して建築はいかにあるべきか、建築は都市に何ができるのか?
これが、私自身がずっと考えてきた「建築の責任」である。
その問題は「この場所で生活を営むのに本当に必要なものは何なのか、
いったい住まうとはどういうことなのか」という思想の問題だった。
それに対し、私は自然の一部としてある生活こそが
住まいの本質なのだという答えを出した。
私が合点がいかなかったのは、行政の言い分である。
「いまだかつて、建築のために護岸を切り崩した前例はない。
前例がないという事は、やってはいけないということだ。」
問題となる事を怖れて、闇雲に規制するばかりの
減点法のシステムでは何も変わらない。
これには徹底して反論し、断固とした姿勢で臨んだ。都市の豊かさとは、
そこに流れた人間の歴史の豊かさであり、
その時間を刻む空間の豊かさだ。
人間が集まって生きるその場所が、
商品として消費されるものであってはならない。
公共施設の本当の問題は、建物が完成したその後の時間にある。
その建物がどのように運営され、地域の人々の生活に息づいていくのか。
すなわち、箱の使われ方の問題である。
環境とは与え、与えられるものではない。育ち、育てるものである。
その育てる苦労を通じて、私たちは環境を変えることが、
自分たち自身を変えることだという事ことに気づく。
建築づくりも森づくりも、同じく環境に働きかけ、
新しい価値を場所にもたらそうとする行為なのである。
現実の社会で、本気で理想を追い求めようとすれば、
必ず社会と衝突する。
大抵、自分の思うようにはいかず、
連戦連敗の日々を送ることになるだろう。
それでも、挑戦し続けるのが、建築家という生き方だ。
あきらめずに、精一杯走り続けていけば、
いつかきっと光が見えてくる。
その可能性を信じる心の強さ、忍耐力こそが、
建築家に最も必要な資質だ。人生に「光」を求めるのなら、
まず目の前の苦しい現実という「影」をしっかりと見据え、
それを乗り越えるべく、勇気をもって進んでいくことだ。
人間にとって本当の幸せは、光の下にいる事ではないと思う。
その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、
無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。
光と影。それが40年間建築の世界で生きてきて、
その体験から学んだ私なりの人生観である。

IMG_2565.jpg建築設計と歯科医療はまったく違う職業のように思えるが、私はこの本を読んでみて、その根本には共通点が多いことに気づいた。
歯科医師の作る歯は、口の中に作る建築物に何ら変わりがない。そして建物も治療した歯も出来上がってみないとどんな使いごこちなのかわからない。依頼者は制作者信頼して仕事をまかせるのである。
その場所に必要とされる建築の本質を見抜き、建築家として何ができるのかを追求し続ける姿に、私は学ぶべき職人気質を感じたのである。

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こちらも安藤忠雄の設計による表参道ヒルズ。一角には旧同潤会青山アパートが復元保存されている。安藤は100人近い地権者とテナント事業者との意見をまとめ、75年にも及ぶ表参道の顔としての建物の記憶をどのように受け継ぐかという難問に立ち向かった。ただひたすら、双方の話を聞き、互いに妥協せず、腹を割った対話を重ねる事で気持ちのズレを少なくしていった。安藤は一貫して建物の記憶を受け継ぐという主張を続け、4年あまりの話し合いの末に最終合意に至った。この姿勢こそが、安藤の建築に対する思いの現れであり、彼の価値観なのだろう。

おそらく私がEBMとNBMという考え方を取り入れ、それまで技術とテクニック一辺倒だった歯科医療の世界に、患者との対話を重視し、それを臨床に取り入れようとしてきた事はこれと全く同じ事のように思う。自分の歯科医療に対する思いを、患者との対話を通して伝えていく。それが私の目指すべき生き方だと思う。安藤さんの言葉を借りて、私の歯科治療の思いを表現してみるとこんなかんじだろうか。

病める人に対して医療はいかにあるべきか、医療は病める人に何ができるのか?
これが、私自身がずっと考えてきた「医療の責任」である。

 

人生の豊かさとは、
そこに流れたその人の歴史の豊かさであり、
その時間を刻む日常生活の豊かさだ。
人間どうしが集まって会話し、笑い、食事をする、
そういった日常生活のために必要な歯という器官が、
金やセラミック、インプラントといった商品として消費されるものであってはならない。

 

歯科治療の本当の問題は、治療が終了したその後の時間にある。
その修復物がどのように機能し、その人の生活に息づいていくのか。
すなわち、使われ方と維持の仕方の問題である。

 

健康とは与え、与えられるものではない。望み、育てるものである。
その育てる苦労を通じて、私たちは口腔の健康観を変えることが、
自分たち自身を変えることだという事ことに気づく。
治療も予防も、同じく口腔の健康に働きかけ、
新しい価値を人生にもたらそうとする行為なのである。

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