私のコレクション2 廃線になった駅たち~能登・七尾線

私のコレクション2 廃線になった駅たち~能登・七尾線

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昭和51年の夏に、私は学校の試験休みを利用して、同級生3人と能登半島を旅した。新宿から夜行の急行アルプスで南小谷まで行き、糸魚川へ抜けて北陸本線を金沢方面へ。寝不足の目をこすりながら津幡駅で七尾線に乗り換える。当時は金沢から輪島までの七尾線と蛸島までの能登線が通っていたが、現在は廃線となっている。その車内で事件は起きた。
20120420211741647.jpg 乗り換えて間もなく、数人のセーラー服姿の女学生が私の座席にやってきて「○○先輩、おはようございます。」とお辞儀をした。私は驚いて返す言葉がなく、一気に眠気が吹き飛んでしまった。人違いということに気づいたのだろう、女の子たちは降り際に、私にクスクスと笑って手を振った。
当時学生が旅をするといったら、周遊券を使ってユースホステル泊まりが一般的だった。初日、甲(かぶと)駅で下車して泊まった能登かつら崎ユースで、京都大学のサイクリング部のお兄さんたちと友達になった。風呂ではアメリカ人と一緒になり、生まれて初めてネイティブと英会話をした。
R0010230.jpg かつら崎ユースの管理人、彦さんの本業は漁師で、早朝、蛸壺漁に連れて行ったもらった。能登線の終点が蛸島というくらいだから、能登は蛸が有名なのだろうか?
蛸島からはバスにて能登半島先端の狼煙(のろし)まで行って、2泊目の禄剛崎ユースに夕方到着。食事後、大阪から来ていた女の子3人組とゲームや雑談をして楽しんだ。
rokkouzakitoudai1.jpg 翌日は禄剛崎(ろっこうざき)灯台を見学。 ここから始まる岬自然歩道(禄剛崎ー木ノ浦10km)、荒磯自然遊歩道(皆月ー上大沢5.5km)を荒々しい日本海をみながら歩く。荒磯自然遊歩道は2007年の能登半島地震で崩落し、閉鎖になっているようだ。
千枚田などを見学して3日目は山の中の金蔵寺ユースに泊まった。
R0010229.jpg お寺だけあって、夕飯は鯉のあらいと煮物だった。今までのユースとは違い、二十畳はあろうかという広い部屋に宿泊客は私たちたった3人だけだった。
翌日は千枚田をみて、輪島市へ向かう。輪島駅は七尾線の終着駅。現在は廃線となり、現在は道の駅となっていて、建物の一角にホームと軌道の一部が残されている。
R0010231.jpg 輪島駅からバスに乗り、ヤセの断崖、義経の舟隠し、能登金剛、日本最古の木造灯台である福浦灯台を見学、羽咋(はくい)へと抜ける。北陸本線の福井に出て、翌日東尋坊、永平寺などを見学、19日に金沢の兼六園を見た後、夜行の急行列車に乗り、車内で知り合った相模女子大のお姉さんたちとトランプゲームに興じ、翌朝寝不足ののまま学校の終業式にでた。
左は、当時の旅行で購入した七尾、能登線の入場券たち。恋路駅が臨時駅でなければ、きっと切符を買っていただろう。
しかし今から30年以上前のことを、切符を見るだけで思い出してしまうとは、我ながら驚いた。

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